「絵が上手」な人と言うのは、脳内に浮かんだ画像をいかに正確に身体に伝達して「それ」を描けるかが大事なのだそうで、脳内にどれだけの情報としての画像があるのかなのだと思う。
先日TVを見ていたら、「ポニョ」でおなじみ宮崎駿監督が「最近の若いクリエーターは現実のものを体験していないから、良い絵が書けないのだ。炎を描くには炎(のある状況)を体験しないといけない。」と言うような話をしており、それは「なるほど」と思った。脳内にどれだけの画像があるかだ。もちろん「それ」を正確に描く「画力」と言うのも必要だが、そんなものは描き続ければ獲得が可能なのだ。
「文章が上手」な人と言うのは、脳内に浮かんだ物語をいかに正確に身体に伝達して「それ」を表現するかが大事なのだと思う。その場合において、脳内に必要な情報と言うのは「語彙力」と「構成力」なんだと思う。
来年高校受験と言う知り合いの娘と面接試験の話をしていた。「何故この学校を選んだんですか?」と言う常套的質問に対し、どう答えるのだ?と娘(僕のではない)に聞くと、「楽しそうだから」と答えた。もう「構成力」も必要のない「語彙力」なんてまったくない答えだ。まぁまぁ、中学生だから、これからたくさんの言葉と構成する力を得るだろう。それは死ぬまで続く訳だし。
つまりは何が言いたいかと言えば、自分の「思い」を第一人称以外の「外部」へ伝えるには「情報力」と「伝える力」が大事な訳で、それは日々勉強しなきゃいけないんだなぁって事。それを最近痛感しました。伝える事を人にまかせてしまうと自分の伝えたかった事が変化し、お互いの理解も難しくなる。その人のパワーと僕のパワーはまったく同じと言う事はないから。
「意思の伝達」は難しい。
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- 2008-08-06
- 真面目な話
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