最近、人と酒を飲んでいて、
「ふ」と気付かされた事が、ありました。
「対人、将棋であれ」人と対峙する事は
「将棋」でありたい。
「チェス」では、ダメなんだ。
人間には「自分と言う王将」を守るために、
「特技」とか
「技術」とか
「趣味」とか、
たくさんの「駒」を持っている訳です。
人と対峙すると言う事は、その
「駒」を並べ、「駒」を並べた相手と向き合う事です。
自分の「駒」を使って、相手を見、そして対局を進めていくのです。
自分の「駒」が相手のテリトリーに入った時、
「駒」はひっくり返ってさらに強くなります。
つまり、相手と出会い、相手の懐に入る事で、自分の「特技」「技術」等が、更に
素晴らしい「新しいもの」にできあがると言うもの。
例えば、
「料理」と言う駒持っていたとしましょう。
「財力」という駒を持った相手がいた場合、相手のテリトリーで
「料理屋開店」とか
「料理教室受講」とか、そう言った
「新しい何か」に変わっていくのです。
相手に奪われた
「駒」は相手が使う。ここが
「チェスではダメ」という所。
あくまで、チェスが悪いと言う訳ではありません。
チェスは「駒」をそぎ落としながら相手を詰めていきます。
それは、「対人」ではダメだと言う事です。
お互いを削っていく作業と言うのは
「けなし合い」のようなものだ。いっさいプラスにならない。
だから人と接する時は
「将棋」なんだ。
、、、等と、
「イイ事を言おう」とした僕。
改めて思う、
心に残る「イイ事」を言う事は、なかなか難しい。

↑将棋を差すようにクリックしていただけましたら、対人が苦手な僕は嬉しいです。すみません、ありがとうございます。

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- 2008-09-14
- 真面目な話
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